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福建省の泰寧は、國(guó)家地質(zhì)公園に選ばれた金湖湖畔にある由緒ある町である。「びん誌」、「泰寧県誌」などの記載によると、泰寧の町は昔は「金城場(chǎng)」と呼ばれ、前漢の頃、びん越王の無(wú)諸の狩猟場(chǎng)であったが、南唐の中興元年(958年)に県に昇格し、宋?明の頃には繁栄を極め、「漢唐古鎮(zhèn)、両宋(北宋と南宋)名城」と言われるようになった。また、李綱(宋の名臣)、朱熹(宋の著名な儒學(xué)者。朱子學(xué)の祖として知られている)、楊時(shí)(宋の著名な儒學(xué)者)などの歴史上の知名人たちがこの地に滯在し、學(xué)問(wèn)を広めたこともあり、この小さな町から、狀元(昔の科挙の試験で一位にランクされた読書(shū)人)2人、進(jìn)士(宋以後の科挙試験で郷試?會(huì)試?殿試に合格したもの)50余人が輩出したことなどは、泰寧の悠久な文化の伝承の証となっている。
泰寧の町にある「尚書(shū)(明?清の頃の部長(zhǎng))第(官邸)」という古い建築物群は、明の初期から清の末期にかけて築造されたもので、面積は合計(jì)1萬(wàn)2700平方メートルにも上る。役人の屋敷、祖先を祭る祠堂、一般の民家、商店、牌坊(中國(guó)式の鳥(niǎo)居)など、中國(guó)の古代の建築蕓術(shù)の粋が凝縮されている建築物が、整然と建ち並んでいる。
寫(xiě)真は國(guó)家地質(zhì)公園に選ばれた金湖。
寫(xiě)真は泰寧の燕子巖寺。
寫(xiě)真は泰寧の甘露巖寺。
寫(xiě)真は泰寧の民家。
寫(xiě)真は民家の中庭。
「チャイナネット」2006年1月
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